いとしいいとしいというとり
「――じゃあ、楽俊も元気で」 そう締め括り、腕に止まらせていた鳥を鳥篭へ移す。 身体に止まらせている間だけ、人の言葉を記憶――記録、というべきだろうか――する鳥。その名を鸞という。 仰々しく女官に運ばれていく鳥を見送りながら、陽子はその向かう先を思った。 慶国の王宮で政務を執る自分と、雁国の大学に学ぶ友人。会いたいと願っても、容易に叶えられるものではない。鸞を通じての声の遣り取りが、せめてもの慰めだった。 「いとしいいとしいというとり、か」 ふと口をついたその呟きに、茶の用意をしていた女官が振り返った。 「それは、何かのまじないですか?」 「玉葉」 根が野次馬なのだ、という自評に相応しく、彼女は興味深げな目を陽子に向けてくる。詮索するではないが知的好奇心に溢れるその目が、今まさに思い浮かべていた友人と重なって、陽子は温かい気分になる。 「まじないじゃないんだけど。ほら、『鸞』って、分解すると『糸』が二つに『言』に『鳥』、だろう?だから」 そうやって覚えたんだ、と、実際に指で字を書いてみせながら説明する。しかし、それでも得心のいかない様子の玉葉に、陽子はああ、と思い当たった。 「そうか、こちらには訓読みがないのか」 本来、陽子の知る言葉――日本語と、こちらの言葉は全く違うらしい。らしい、というのは、陽子自身にその実感がないからだ。神仙になると、勝手に言葉が翻訳される。こちらに連れてこられた時には既に王として神籍に入っていた陽子は、ずっと日本語で話していたし、相手の言葉も日本語で聞こえていたから、自分の言葉が相手にどう聞こえているのか、相手が本当はどんな言葉で話しているのか、全く見当もつかない。使う文字こそ同じ漢字だが、発音は違うのだろう。まして訓読みは日本語独特のものだ。 「訓読み?」 案の定、玉葉には何のことなのかわからなかったらしく、さらに不思議そうな顔で首を傾げる。陽子は考え考え、なんとか説明を試みた。 「ええと。蓬莱では漢字にいくつか読み方があるんだ。もともとの漢字の読み方と、漢字の意味と同じ意味の蓬莱の言葉を読みにあてる場合と。それで、『糸』という字はあちらでは『いと』とも読むんだけど、この字も」 そう言って今度は『愛』という字を書いてみせる。 「『いとしい』、と読む。だから、『糸』と『愛』を掛けて」 「それで、『愛しい愛しいと言う鳥』ですか」 「そうそう」 自分の意図が通じたことに、陽子はぱちん、と手を合わせ、さも嬉しそうに頷いた。何事にも真摯な彼女らしいその様子を、玉葉は好ましく見守りながら、ふと内緒話をするように、そっと陽子に囁いた。 「では、あれは主上の、楽俊殿への恋文ですね」 言われて陽子は、玉葉を見返した。穏やかな笑みの浮かんだその瞳に、悪戯めいた色を認めて、陽子もまた柔らかく微笑んだ。 「――うん、そうだな」 会えないのは確かに淋しいけれど、相手を想いながら言葉を紡ぐのは楽しくもある。 思えば、蓬莱にいた頃、誰かと言葉を交わすことをこれほど心待ちにしたことがあっただろうか。心からの言葉を、誰かに投げかけたことがあっただろうか。――否、陽子はむしろそれを厭わしく、恐ろしくさえ思っていたのだ。繰り返される表面だけの会話。近くにいながら、あんなにも遠かった人達。それはただ遠く離れているよりも、ずっと悲しいことだったのに。そんな薄っぺらな関係しか築けなかった自分を思うと、今でも悔しいけれど。 そう思えるようになったのも、楽俊のおかげだと、陽子は今一度、遥か遠く、関弓の空の下へと想いを馳せた。 こうして彼を想うたび胸に浮かぶ、限りない感謝と尊敬と、切ないくらいに温かな気持ち。他愛ない話題の中に込めたありったけの想いを、鳥は運ぶ。 ――愛しい愛しい、貴方へ。 |
楽陽の小道具として欠かせないこの鳥。
昔、この字を覚えるのに「いとしいいとしいと言う鳥」って覚えたのを思い出し、
「なんだ、名前からしてラブレターじゃ〜ん」とか思って、ずっと温めていたネタです。
しかしコトバの問題は結構面倒ですね。『延王』と『猿王』の洒落はどちらも音だから何とかOKとしても、
訓はさすがにダメだろう、と思ってこういう形にしたんですが
(なお、漢字と日本語の関係について、厳密に言うと、「漢字に日本語の読みをあてた」のではなく、
「やまとことばを表すのに漢字をあてた」ということになるはずですが、「訓読み」の説明としては文中の説明の方がわかりやすいかと)、
細かいことを言い始めるときりがない…。
本当なら「漢字」だって常世にとっては別に「漢の文字」じゃないから「漢字」とは言わないわけで。
『月の影〜』で陽子が最初に捕えられた配浪の場面で、陽子が「漢字」と言ったのに対して老婆は単に「文字」と言ってますしね。
とりあえずカタカナ語は特に意図した場合を除いては使わないようにはしてますが。
そういえばアニメで一度、祥瓊が「サボる」と言ってて、おいおい、と思ったんですが、
原作でも「東の海神〜」で延王が使ってました…。
けど自分でも、日本語だと思ってても実はは語源が外来語、とか、知らずに使ってるのもかなりあるだろうしなあ。
そこはもう翻訳機能ってことで(汗)
…もしかして、陽子の元・女子高生とは思えぬ言葉遣いも、あの世界に相応しいように
(小野先生により)翻訳されて私たちに伝わっているからなのかもしれない(笑)。
拓峰の乱の後の官吏の異動で、玉葉は春官府に戻ったのかなあ。
陽子の周りがあんまり「友達」ばっかりで固まってしまうのも偏ってて嫌なので、
玉葉にはそのまま陽子の側仕えでいて欲しいんですけど。
そんなわけで、一応これ、『風の万里〜』よりは後を想定してます。