◆祥瓊

『風の万里〜』を読んでいてちょっと気になったこと。

祥瓊は「宮中のものの考え方はよく分かる」と言うのですが、これってどうなんだろう。
宮中行事とかしきたりとか、、宮中での振舞い方といったことには詳しいだろうし、ある程度の官職名やその担当する仕事の内容とかの知識も教養として身に付けてはいると思うので、前半の、景女王に取り入る、という面ではいいんです。
ただ、こういった「知識」はともかく、宮中の「ものの考え方」となると話は違ってくると思うんです。果たして祥瓊が、拓峰の反乱鎮圧に禁軍を派遣したのが靖共だと言い当てられるほどに、官吏たちの裏に通じているものなのか。

楽俊が「祥瓊って知ってるだけなんだよな」と言ったように、更生前の祥瓊というのは、物事の表面だけしか見ていない人間として描かれていました。
アニメで月渓が、「峯王は祥瓊を白いまま育てようとした」という言い方をしていましたが、、峯王は、どろどろした政治やら、罪の氾濫する下界から祥瓊を遠ざけて、ただ一片の汚れもない国、という自分の理想だけを見せていたのでしょう。祥瓊はその父親の理想に疑問を持つことなく、それゆえに国の実情――「罪」の内実や刑罰の過酷さを知ろうともしなかった。父王のしていることは正しいと信じて疑わなかったから、なぜ討たれたのかわからないし、民の恨みも自分に対する月渓や珠晶の仕打ちも、不当なものとしか映らない。
そんな、父親への盲信ぶりは、宮中の内部のことに関してもそうだったのではないでしょうか。
『乗月』では峯王の為人について、自分に見せる態度が誠実であれば、その裏を疑うことを知らない人物だったと語られています。ならば祥瓊もまた、宮中の人々の、表の態度しか見ていなかったのではないでしょうか。峯王の周囲に、即ち祥瓊の周囲にいたのは、内実はどうあれ表向きは潔白な者ばかりだったはず。そして峯王が「正義」と認めた人物ならば、祥瓊がそれを疑うことはなく、真実誠実な者とそうでない者を見抜くことなどできなかったと思うのです。
そして、表は国政を憂いている顔をして、裏で呀峰と結託している靖共の立ち回り方は、まさに峯王が騙されるタイプの猾吏そのもの。それを祥瓊が見抜けるというのはどうにも納得がいかない。
彼女が官吏たちの裏を見抜くことができるような洞察力を持ち合わせていたなら、真っ先に母・王后の本性に気付いてもよさそうなものだし、父王に対しても疑問を抱くと思うのですが。

そんなわけで、「宮中にいながら、その実大事なところは何一つ見えていなかった」というのが祥瓊だったはずなのに、「宮中にいたからそれがわかる」というところに違和感を覚えるのです。
もし本当にそんなに宮中の「ものの考え方」がわかっていたのなら、祥瓊は王が猾吏に騙されていると知りながら傍観していた、ということにもなりかねず、それって「なにも知らないから何もしなかった」よりもずっと罪は重いでしょう。
父王が必ずしも正しいわけではなかったと、目の鱗が剥がれ落ちた状態で、自分で考えることを知って、その上で改めて30年の宮中生活を振り返ってみて、なんとなく人の裏が見えた、ということならまだわかるんですけど(それでも唐突な感は否めませんが)。

あと、これは『乗月』の方なんですけど、祥瓊はこの時点で既に慶の仙籍に入っているんですよね。
芳と恭への筋を通すなら、せめてこの旅が終わるまで、陽子も祥瓊を仙籍に入れるのを待つべきだったと思うし、祥瓊自身、辞退するべきじゃないかと思うんですが。…厳しすぎ?

どちらの話も基本的には好きなんですが、なんか気になっちゃって。

 

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