◆翻訳機能

「いとしいいとしいというとり」を書いていて気になったのが、「果たして六太はどの程度『日本語』を知っているのか」。

蓬莱にいたのは4歳くらいまで。親には「聡すぎて怖い」と言われてましたが、それは人の感情や意図を悟るという意味であって、知識としての「ことば」、たとえば単語や文字などは あまり知らなかったんじゃないかと思うんですよね。
あとはもう常世暮らしのほうがずっと長いわけで。 延王と違って、六太のの言語ベースは常世の言葉であるほうが、自然といえば自然。
ただ、ここでもうひとつ気になるのが翻訳機能。
麒麟や神仙には、翻訳機能が働いて、海客・山客との間でも言葉に不自由しなくなります。
「東の海神〜」の六太と更夜の出会いの場面で、麒麟や神仙は妖魔や獣の意を悟る術を与えられている、とあって、六太の「聡さ」もこのへんの麒麟としての能力からきていたのだろうと思いますが(あー、でもその割に景麒とか供麒とか、鈍い麒麟も多いな)、これも翻訳機能の一端と考えると、単なる言語の変換ではなくて、 意思を伝えるもの、という見方もできそうです。しかし、かといってテレパシーではないんですよね。言葉と本心が違う場合――たとえば、相手が嘘をついている場合なんかは、変換されて伝わるのは表面上の言葉であって、その本心を読み取ることができるということでは全くないし(それができるのならこの世界に佞臣なんて存在しようがない)、相手が黙っていれば何も伝わってはこない。陽子もしっかり騙されたりしていましたし。少なくとも人相手の場合は、やはり、あくまで音声を介した場合にのみ働く、文字通り「翻訳」機能として捉えるべきもののようです。
漠然とした「意思」ではなく、明確な「言葉」としてやり取りがされる以上、話す側、聞く側どちらに立った場合でも、その言葉は何らかの言語体系に沿って構成されるはずです。
王や仙の場合は、神仙になるまでは普通の「人」だから、「人」として暮らしている間に、その属する共同体の言語――陽子のように日本にいれば日本語だし、常世の者なら常世の言葉を習得して、その言語でしゃべる、もしくは聞こえるということになるけれども、麒麟の場合、生まれた時から麒麟なんであって、そういう場合に彼らの言語の習得の過程はどういうことになるのか。
生まれたときから翻訳機能が働いていたら、周りが話しているのが日本語だろうと中国語だろうと英語だろうと常世語だろうと区別はなく、そうなると彼らの「翻訳」のベースとなる言語体系というのはなんなのか。そもそも特定の言語を習得するということができるのか?
たとえば、陽子は常世に来る前に神籍に入ってしまっていたため、日本語と常世の言葉が違うということに気付かなかったし、言語が違うということを知識として知っても、翻訳機能が勝手に働いて日本語に変換してしまうので、常世の言葉を常世の言葉として聞くことができず、常世語を学ぶということはできないのだろうと思われます。
麒麟には生まれつき常世語が言語ベースとして刷り込まれているのだとしても、陽子同様、後天的に日本語やその他の言語を学ぶということはできないのではないでしょうか。
蓬莱に遊びに行って新しい言葉やらカタカナ語やら覚えてくるというのも可能なのかどうか。翻訳がどこまで働くのかはよくわかりませんし、文字の場合には翻訳機能は働かないので、また違ってきますが。

自分でも書いてて混乱してきた(笑)。
…なんにしろ、六太が「鸞」と「いとしいいとしいというとり」との関連を理解できるかどうかは、 実はあやしいのでした。

 

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